目の前の人を助けるということ

起業してからというもの、ちょっと変わった事業をしているということで
珍しがってもらい、色々な素晴らしい方にお会いしてお話する機会が多い。

その中でも、特に感化されたのが、ある60歳の経営者の方の生き様だ。

彼の凄みは、「自分の大義を日々の行動で体現する」ということに尽きる。
とにかく、自分が正義であることを押し通してきた人なのだ。

彼は、電車の中でふんぞり返っている人を見かければ「必ず」注意し、
歩きタバコをしている人を見かければ、その人がその行動を辞めるまで
「必ず」説得することをずっと続けているという。

この「必ず」というところがすごい。

自分が急いでいる時であれ、気持ち的に沈んでいる時であれ、
また、注意する相手が明らかにヤクザだと見受けられる時であれ、
自分が正しいと思えば、相手のことを絶対に注意するのだ。


また、彼は何の迷いもなくこうした行動をしているかと言えばそうではなく、
この注意という行為を、常に葛藤と闘いながら実践している。

彼は起業家である前に夫でもあり父親でもあり、守るべきものがある。
「この人を注意して刺されたら笑われ者だな」という葛藤と、常に闘うのだ。
でも、その度に、これまで自分が注意すべきだと感じた全ての局面において、
この人はその葛藤に打ち勝って行動を起こしてきたというのである。



このような行動を取っていることの意味を、彼はこんな風に説明する。

「僕が嫌いなのは傲慢な人だ。傲慢な人は、自分の価値を過大評価していて、
自分は意義のある活動をしているので、目の前の人を助けるような暇もないし、
そうしないで自分の本業に時間をかけることが合理的な判断だと考えている。」

この言葉、自分も本当に耳が痛い。

起業したばかりの僕には、いま自分が取り組んでいる事業が大事でならない。
それに、自分には家族がいて、家族のことを守りたいとも強く感じている。

この気持ち自体は素晴らしいことだが、それによって自分が弱くなったとも感じる。
自分の目の前で困っている人を助けない理由がどんどんと増えていて、
本来は当たり前の行動を取ることができないという場面が多くなった気がする。

これは、彼から言わせれば、僕が傲慢になったことに他ならないのだ。


自分は、社会を変えたいと大志を抱く起業家である前に、
目の前の人を助けることのできる人間でありたいと、
経営者の大先輩とお話する機会を頂くことで再認識したのでした。
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