僕がシリアに住む友人に会いに行く情けない理由

僕はいまこの文章を、レバノンに向かう飛行機のなかで書いている。よくよく考えても、なぜ急遽休みを取ってレバノン目指して飛行機に乗っているのか、自分でも上手いこと説明できる気がしない。というわけで、気持ちを整理するためにも、いま自分が何を考えているかをここに書いておきたい。(情緒的だし、無駄に長文です)

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2011年は日本を未曾有の大震災が襲った年であり、僕が会社を辞めてクロスフィールズを起ち上げた年でもある。そして、シリアにおける紛争が始まった年だった。

あれから6年という時間が流れた。東北地方は落ち着きを取り戻し、もちろん地域によるものの、復興は確実に進んでいるように見える。僕自身もNPO経営者として7年目を迎え、起業家として生きている自分をもはや当たり前だと感じるようになった。プライベートでも二人の子どもが生まれ、家族はいつの間にか2人から4人に増えた。

6年間とは、それだけの変化が起きる長い時間だ。だが、残念ながらシリアではいまも厳しい情勢が続いているし、紛争が集結して平和が訪れる予兆は見られない。シリアに暮らす人たちは、実にその6年間もの長い時間を、絶望的な戦火のなかで暮らし続けている。


僕は2005年からの約2年間を、青年海外協力隊としてシリアで過ごした。最初の1年間は南部のクネイトラという地方の人口2,000人くらいの小さな村で暮らしていた。いつもお世話になっていた家庭は、まさに「第2の家族」と思えるほどの大切な存在になった。特にその家に住む友人Nとはすごく波長が合い、いまも兄弟と呼び合うような間柄だ。

友人Nも僕も結婚したということで、紛争直前だった2010年の暮れには、互いに奥さんを紹介しあおうと、僕は奥さんを連れてシリアを訪ねた。村ではものすごい歓待と祝福を受け、2家族で幸せを分かち合った。友人Nとは「いつか子どもができたら、今度は子どもたちを一緒に遊ばせよう」と約束した。


そんなシリアで紛争が始まったのだから、当然ながら僕は気が気でなかった。でも、日本にいる自分にできることは思いつかず、起業したての忙しさを言い訳にもして、特に何の行動を取ることもなく、ただただ新聞やメディアで情勢を見守るだけの日々を過ごした。ときどき思い出したように友人Nとは電話で連絡を取り合っていたものの、メディアがシリアの報道をしなくなれば、日常生活でシリアについて考える機会も減っていった。

紛争が始まってから3年が経った2014年の春、友人Nから突然「生活が苦しい。助けてほしい」という連絡が入った。これまで一度もそんなことを頼まれたことはなかったので、ただ事ではないことだけは分かった。僕はできる限りのことをしようと思い、思い切って友人Nに会おうとシリアの隣国レバノンへと飛んだ。(その時のブログ記事はコチラ

でも、残念ながら公務員をしていた友人Nは国外に出ることが許されず、再会は叶わなかった。彼の代わりにレバノンに来てくれた友人Nの甥っ子にサポートのお金を託して、僕は日本へと戻った。(その時のブログ記事はコチラ

その後、レバノン宛であれば国際送金ができるということが分かり、悩んだ末に、僕はレバノンに住む友人Nの親戚を通して定期的に生活費の仕送りをすることを決めた。

半年に一度、マイナンバーカードを持って家の近くにあるチケットショップの大黒屋(日本ではWestern Unionの代理店をしている)に行く。そこでお金を支払うと、手数料を引かれた金額がレバノンへと送金される。そして、何人かの友人に助けをもらって、送金情報を友人Nへと伝える。僕がするのはそれだけだ。

そして、お金が無事に友人Nのもとに届くと、彼は僕にお礼の連絡をくれ、WhatsAppやSkypeで互いの近況を伝え合う。その電話では、彼はいつも申し訳なさそうにこんなことを言う。

「いつもごめんよ。この仕送りのおかげで何とか家族の生活を支えることができている。ありがとう。でも、僕はお金をもらえるから連絡を取っているわけじゃ決してないから。ダイチは家族だからこうして電話をしているんだ。そこだけは勘違いしないで欲しい。お金なんかよりも、心配してくれているダイチと話がしたいんだ。」

そして、その言葉に対し、僕も決まって「うん、もちろん分かってるよ」と伝える。

こんなことを、半年に1回くらいのペースで、3年間以上繰り返してきた。はじめは感情的だった会話も、何度も同じことを繰り返していると、だんだんと定型化して味気ないものになってくる(僕のアラビア語の語彙力が年々低下していることも大きな要因なのだけど…)。そして、あまりにも先が見えない状況に、電話で話していても、なんだか気まずさやぎこちなさが残るようになっていった。

僕たちは「友人」だったはずなのに、仕送りをして会話をする度に、僕たちは「支援者」と「支援される者」という関係になってしまっている感じがした。僕はそれが嫌でたまらなかったし、おそらく友人Nも、同じように感じていたんじゃないかと思う。

僕はいつの間にか、あまり感情を込めず、お金を送るという機械的な行為として送金をするようになった。気まずい電話をはぶいて、メールだけでやり取りをすることも増えた。


そして、いまから1ヶ月ほど前。意識的だったのか、無意識的だったのか、僕は約束のタイミングが来たのに送金することを忘れてまった。いや、正確には、何度か送金に行こうとは思ったのだけど、仕事が忙しくて大黒屋に行って送金するという行為すら億劫になってしまい、タイミングを逃してしまったのだ。

すると、友人からは何通ものメールが入っていた。そこには、「本当に恥ずかしいことなのだけど、どうしてもお金が必要なんだ。もし経済的に難しいのであれば、いつもの半額でもよいから送ってほしい。ダイチ、いつもありがとう」と書かれていた。

僕はあわてて送金の手続きを済ませた。でも、なんだか自分の心が空っぽになってしまっているような感覚を覚えた。自分の仕送りがないことが友人Nとその家族に大きな打撃を与えるという事実に、打ちのめされた。そして、自分が「支援者」であるという事実と責任とに向き合ってこなかった自分自身が、とてつもなく情けなくなった。このままでは何かが音を立てて壊れていくような感覚に襲われた。


前回の渡航には、友人Nをサポートするためにお金を届けるという明確な目的があった。でも、国際送金ができることが分かったいま、僕がわざわざレバノンまで行く必要はない。それに、友人Nに会えるのかどうかさえ、全く分からない。「これからレバノンに向かう」という連絡はもらっているものの、彼がまた国境を越えられないという可能性はとても高い。

ただ、たとえ会えなくても、友人Nのいる中東の地に足を踏み入れて、もう一度、「友人」として彼とつながる感覚を持ちたい。

情けないけれど、つまるところはそんな僕のエゴが、今回のレバノン行きの理由なんだと思う。

僕はいま「支援者」だけれど、そのこと以前に「友人」なのだから、彼にどうしても会いたい。その気持ちだけでも、今回のレバノン訪問という行動を通して、全力で彼に伝えられたいと思っている。

さぁ、そろそろレバノンに到着する。
この先一体どんなことが待っているのだろう。。。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
   『働く意義の見つけ方―仕事を「志事」にする流儀』(ダイヤモンド社)
    ☆ Amazonランキング キャリアデザイン部門ベストセラー1位を獲得
    ☆ ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書2016 年間17位
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