「ワクワクすること」は手段であり、目的でもある(?)

自分でもまだ思考の途中という感じなのだけれど、少し思うことがあり、
「ワクワクすること」をテーマに、徒然なるままに考えていることを書いてみたい。


僕は元来、「ワクワクすることなんて、どうでもいい」と思っていた。

たとえば、中学入学から大学卒業までの10年間を部活にだけパワーを
費やしてきた自分というのは、ワクワクしているかどうかなんて関係なく、
ただガムシャラに一生懸命やっているかどうか、そして、
その結果がどうだったのかにだけ、こだわっていたように思う。

でも、それは、短期間の青春を駆け抜けるという、
特殊な短距離走の世界でのみ通じるやり方だったと、僕は気付かされた。

これに気付いたのは、青年海外協力隊員としてシリアで活動していた時だった。
僕は、シリア人の同僚たちとともに、小学校向けの教育プログラムをつくっていた。
とても意義がある活動だったし、生徒からの評判も上々だった。
僕は活動に満足していて、当然、同僚たちも意欲に燃えていると思っていた。

でも、違った。活動自体が上手くいっていても、それを運営しているメンバーが
活動に対してヤル気を持っていなければ、活動は継続することはできない。
あることを契機に同僚のモチベーションが一気に下がり、活動は止まってしまった。

その後、そうすれば同僚たちがヤル気を出してくれるかを必死に考え、
彼らがワクワクすることは何かを必死に考えることで、活動は再び勢いを取り戻した。

「何かの目的のためには、ワクワクすることが重要な手段」だと、僕は学んだ。
以来、僕は何かの活動や仕事をする時には、かかわっている人たちが
ワクワクしている状態であるために、たくさんの工夫をしてきたつもりだ。


そして今、自分で事業を始めてからというもの、
ワクワクすることということに対して、また少し違うことを考えている。

それは、ワクワクできていれば、それが全てじゃないかということだ。

「大地がワクワクしていると、それだけで俺は幸せな気分になるんだよね」

ある時、僕はとても尊敬する先輩から、こんな言葉をなげかけられた。
実は、その人は若くして死んでしまったのだけど、彼は生前、
毎日をワクワクしながら過ごすことに対して、少しも妥協をしない人だった。

日々をワクワクしながら楽しそうに過ごしている彼の周りには、知らず知らずに
素敵な人たちが集まってくる。そこからは、いつも何かのアイデアが生まれ、
誰もをワクワクさせてしまうような奇跡的な出来事が何度も起こった。


いま自分で事業をしていても日々痛烈に感じることだけど、やっている側が
心の底からワクワクしている事業や活動というのは、とにかく上手くいくものだ。
つまり、ワクワクしてさえいれば、色々なことが上手くいってしまうのだ。

また一方で、ワクワクしていなければ、色々なことが上手くいかないのだ。

どんなに正しいと思うことをやっていても、やっている側のワクワク感がなければ、
その活動というのは、きっとどこかで求心力を失って、迷走してしまうのだ。


こう考えてみると、「ワクワクすることは、手段ではなく、目的」とも思えてくる。

すごく逆説的な考え方のような気もするければ、どんな活動においても、
自分たちがワクワクしている状態に持っていくことこそ、究極のゴールかもしれない。


・・・うーん、本当なんだろうか。
しばらく、ゆっくり考えてみたいと思う。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

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