シリア国内で暮らす友人たちの現状(2014年5月)

弾丸日程でのヨルダン・レバノン訪問を終え、
今日、無事に日本へと帰ってきました。

国内避難民となってしまった友人Nに会って
経済的な支援を届けるのが今回の訪問の目的でしたが、
残念ながら、今回は友人Nには会えませんでした。

詳しい事情までは分からないのですが、政府が突然、
今月だけ公務員が国外に出ることを禁じたらしいのです。
(友人Nは公立学校の教員のため、その対象者なのです)

一時はお金を渡すことも諦めかけましたが、現地で友人と
連絡を取り合い、最後に機転を利かせて、彼の甥っ子兄弟に
レバノンまで来てもらい、彼らにお金を託すことができました。

ただ、シリアの首都ダマスカスとレバノンの首都ベイルートの
間にはなんといまは30箇所以上の検問所があるそうです。
最後までどうなるか不安でしたが、つい先ほど友人Nと電話して、
無事に彼の手元にお金が届いたことを確認できました。

今回まず渡すことができたのは、生活費の半年分の支援金。
これで友人家族の生活が少しでも楽になればと思います。

ひとまず、これでミッション完了です。

ちなみに、「お金も嬉しかったけど、一緒に渡してくれた
写真を見て、幸せな気持ちになれた。ありがとう」とのこと。
4年ほど前に妻と一緒に彼の村を訪れたときの写真や、
去年生まれた娘の写真を、とても喜んでくれたみたいです。

IMG_4922_s.jpg

さて、今回レバノンまで来てくれた友人Nの甥っ子2人。

兄のK(24歳・写真右)は、今回が国外に出るのは初めての経験。
本当によく来てくれたなぁと思います。

弟のM(21歳・写真左)は、12歳の頃からよく知っています。
当時からすごく利発な少年で、いつか検事になると言って
いましたが、彼は初志貫徹して自分の夢を追いかけ続けて、
いまは名門ダマスカス大学の法律学科で学んでいます。

彼らとの感動の再会を果たし、ベイルートの海辺のレストランで
夕食をご馳走しながら、久しぶりに色々なことを語り合いました。
本当に格別な時間で、今回来てみて本当に良かったと心底思いました。

ただ、こうして再会を喜ぶ幸せな時間の中でも、彼らとの会話には、
当然のように内戦の悲劇と彼らの複雑な思いとが垣間見えました。

印象的だった話を、2つだけ書いておきたいと思います。


宙に浮いた若者たちの将来

ダマスカス大学で学ぶ弟のM。彼の兄弟たちは、彼のために
出稼ぎをして、学費の仕送りをしたりしているそうです。
検事を目指す優秀な彼は、文字通り「一家の希望」なのです。

ただ、本来であれば大学4年生になっているはずの彼は、
いまもまだ3年生の過程を勉強しています。内戦の影響で
授業が休講になったり、試験が受けられないといった事態が
頻発していて、学生たちは過程通り進学できないのです。

なお、シリアの他の大学は壊滅的な状況になっていて、
少しでも機能しているのはダマスカス大学くらいだそうです。
そのため、ダマスカス大学には全国から大学生が集まってきて、
学生数は従来の2倍以上に。混乱は更に広がるばかりだそうです。

M自身も、自分が来年卒業できるかどうかも分かっておらず、
その後の検事になるための試験や司法修習などがどうなるかの
見通しも立たず、不安でたまらないと嘆いていました。

彼自身は言っていませんでしたが、そもそも、シリアという国や、
その国の法律がどうなっていくのかも分からない状況です。

そんな状況の中で彼は必死に法律を学ぼうとしていて、
家族たちは「一家の希望」である彼を必死で支えています。

理不尽すぎる状況と、希望を持つ人間たちの強さ。
僕には、彼らにかける言葉は何もありませんでした。


揺るぎない土地への想いと「難民」の辛さ

友人Nや甥っ子兄弟が住んでいたギルギスという村は、
シリア南部クネイトラ県にある人口3,000人くらいの小さな村でした。

農業や牧畜を営む人々がのどかに暮らし、牛や羊たちの群れが行き来し、
少し歩けばオリーブの木々も生い茂る、本当に美しい村でした。

img_0.jpg
↑僕が2005年に撮影したギルギス村の風景


「見てみろ、ダイチ。この村には何でもあるだろう!」

僕が青年海外協力隊としてこの村に赴任した時、どの村人たちも
そんな風に村の自慢をしていたのが、昨日のことのように思い出されます。

そして僕もまた、お金とかモノとかそんなものは何にもないはずなのに、
確かにこの村には全部必要なものがありそうだと、何となく思えていました。

しかし、状況は一変してしまいました。

ギルギス村はいま、政府軍と反政府軍との交戦の主戦場となっています。
なんでも、オリーブの生い茂る森は格好の戦場になるのだそうです。
(この話を教えてくれた時の彼らの辛そうな顔が忘れられません...)

3,000人の村民のうち、いま村に残っているのは50人程度だそうです。
既に全員が避難しているものだと僕は勝手に思っていたのですが、
一部は村に残ることを選んだのです。そして、その多くは高齢者です。

「もうすぐ死ぬ自分たちは、生まれ育ったこの村で死にたい。」

きっと、それが彼らの気持ちなのだと思います。なお、僕の友人や
甥っ子兄弟はこの数カ月間は村に入ってもいないため、村に残った
人たちがどうなっているのかは全く分からないとのことでした…。

この国の人々の土地に対する想いは、かくも強いのです。

それだけに、彼らがいま自分たちの故郷を離れて生きなければならず、
そして、いつその故郷に戻ることができるかも分からないという状況は、
彼らにとっては身も心も引き裂かれるような辛いことなのだと思います。

内戦が激化してから友人Nと電話をしていて、「早く安全なところに
移り住んだ方がいい」とずっと主張していた僕は、「難民」になることの
辛さを、きっとこれっぽっちも理解できていなかったんだと思います。


ベイルートでの食事中、甥っ子兄弟たちは
「次はギルギス村で会おう」「村の羊や野菜で、最高のご馳走をする!」
と、村で僕をもてなすことを、何度も何度も約束してくれました。

この約束が1日も早く実現することを、僕も心の底から祈りたいと想います。


+++


最後になりましたが、乱文だらけの一連のシリア関連の記事を
読んで下さった方々、本当にどうもありがとうございました。

日本でのシリアへの関心はあまり高くないと思って書いていたのですが、
実はこの1週間のブログへのアクセス数は、僕がブログを始めてから
最高を記録しました。そのことに、僕自身も大いに励まされました。

僕も明日からは通常の日本での生活に戻るわけですが、今回の訪問で
感じたこと・考えたことを忘れないよう、日々を過ごしたいと思います。
引き続き、自分にできることを、地道にやっていくことを誓います。

なお、何人の方から「日本にいる自分にもシリアのためにできることは?」
といった質問を頂きました。そうした方のために、簡易的ではありますが
「シリア難民のために日本でできることの一覧」
を作成してみたので、もしよければ参考にして頂ければと思います。

それでは皆さん、今回は本当にありがとうございました!

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

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シリア難民のために何かしたい方へ ~募金・寄付先などの一覧~

2011年3月から始まったと言われるシリアの内戦では、
多くの人たちが生命を落とすとともに、実に全人口の40%以上が
難民となり国内外での生活を強いられています。(2014年3月時点)

このような状況を見て、日本にいながらも、彼らのために何かを
したいという気持ちになった人も少なくないのではないでしょうか。

そこで、友人にもアドバイスをもらいながら、シリアのために何かを
したい方が日本でできるアクションを、簡単にまとめてみました。

少しでも何かの参考になればと思います...


1. 寄付・募金をしてNGOの活動をサポートする

シリア支援団体サダーカ

スライド1

特定非営利活動法人日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)

スライド2

特定非営利活動法人ジェン(JEN)

スライド6

認定NPO法人 国境なき子どもたち(KnK)

スライド4

公益社団法人 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン

スライド5

認定NPO法人 IVY

IVY.jpg


2. 署名をしてシリアの平和を願う意思表示をする

シリアの平和を願う署名キャンペーン(Change.org)

プレゼンテーション3

3. シリア難民の作った製品を購入して難民の自立を支える

イブラワハイト

スライド6

4. シリア関連の各種イベントに参加する

UNHCR / ジャパン・プラットフォーム共催シンポジウム(2014年5月17日開催)
「シリア危機:失われた世代にしないために - 子どもたちの現状」


スライド7


ごくごく簡単ですが、以上です。
また新たに見つかったアクションなどあれば、追記していきます。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

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シリア難民の現状 ~ヨルダン訪問記(2014年5月)~

前回の記事に書いたような経緯で、いま僕は中東に来ています。
短いヨルダンでの滞在を経て、いまはレバノンの首都である
ベイルートにいます。この地で友人Nと会う約束をしたからです。

ただ、残念ながら昨日になって彼から「行くのは難しいかもしれない」
という連絡だけ入り、それ以来、突然連絡が取れなくなっています。
正直なところ、今回彼と会える可能性はかなり低くなってしまいました。
明日までは滞在するので、最後の可能性にかけてみるつもりですが…


そんな状況ですが、せっかくなので、僕が見た範囲で、
現地の情報を少しでも発信したいと思います。

今回ヨルダンでは、首都アンマンに2日間滞在し、この地で
シリア難民の支援を続ける、協力隊時代からの友人である
田村雅文(シリア支援団体サダーカ代表)の助けを借りて、
5軒の難民家庭の訪問や傷病者施設の見学をさせてもらいました。

IMG_4762.jpg
↑家庭訪問の様子。左から二番目が田村雅文


シリア内戦が悪化する中、難民となって国外に避難する
人々は増え続け、その数は250万人を超すと言われています。
650万人を超す国内避難民をこれに足せば、実に全人口の
約40%が難民になっているというから、驚きを隠せません。
(数字は全てUNHCRが2014年3月に発表したものを引用)

僕の友人と同じ境遇にいる人が900万人以上もいるという
数字は、考えただけで気の遠くなりそうな事実です。

隣国であるヨルダンには、登録されているだけで60-80万人、
非登録の難民も合わせると更にその倍以上の難民が押し寄せて
いると言われます。これはヨルダンの全人口(約630万人)の
10-20%にあたるというから、どれだけ膨大な数か分かります。

では、ヨルダンのシリア難民はどんな生活をしているのでしょう。
あくまで僕の印象ですが、少し感想を書いてみたいと思います。

描けない未来の展望

とにもかくにも、彼らは未来の展望を描くことが難しいです。

食事や医療などの最低限のサポートは国際機関からの支援で
何とかまかなえているケースが多いようですが、シリア難民が
ヨルダンで仕事を見つけるのは極めて難しく、恒常的な収入が
ある家庭はほとんどありません。

また、ヨルダン政府側の受入体制も不十分なようで、学校に
通うことができている子どもの数はかなり限定的です。

そのため、仕事も学校のない難民たちは、ほとんどが1日中を
家の中で何もせずに過ごし、たまにやって来る国際機関などの
援助をあてにして日々を過ごしているという印象です。

僕が訪問した家庭の人々は、表面上に悲壮感がある感じでは
ありませんでしたが(彼らは本当に強いです!)、やはり
どこかに、未来が描けないことからくる暗さや疲れのような
ものが見え隠れしていました。

協力隊のときに感じていた僕が好きだった
シリア人特有の底抜けな明るさは、どこかに行っていました…

急速に広がる心身の病

今回訪問した家庭では、心臓疾患や癌などの病気で入退院を
繰り返している人が大勢いました。日当たりが悪く狭い家に
大家族で暮らしているので、身体に与えるダメージが大きい
というのは、容易に想像がつきます。

また、一緒に訪問したメディカルドクターの話では、今後は
精神疾患の患者が急増するということでした。幼い子どもを
含めて、多くの人たちが、家の回りの人たちが殺されるのを
目撃するという凄惨な経験をしています。それにより、国外
に来てからも不眠症になっている人も多いようでした。

多くの難民が持つ壮絶な経験

訪問した家庭で聞いた話は、全てが壮絶すぎるものでした。

その中でも衝撃的だったのは、シリアの中でも最も戦闘が
激しいとされるホムス市出身の男性(28歳)の話でした。

彼は1年半にわたって家の中に隠れ続け、電気も水もない
状態で何とか生き延びたそうです。一緒に生活していた
子どもたちは一歩も外に出ることができず、毎日毎日、
銃撃戦の音に怯えながら日々を過ごしていたそうです。

そして、何を食べて持ちこたえていたかを尋ねると、
「店も全て閉まっていて食料もなかったので、その辺に
生えている草を茹でて食べたり、近くを通った野良猫や
野良犬を食べて飢えをしのいだ」というのが答えでした。
もともとは肥満体型だったこの男性は、ヨルダンに逃げる
までの1年半で38キロも体重が落ちたとのことでした。

なお、一緒に逃げてきたお兄さん(42歳)は途中で政府軍に
捕まってしまい、いまどこにいるかは分からないそうです。
そのお兄さんの子どもたち(4-10歳くらいの4人兄妹)は、
僕たちの横でその話を寂しそうに聞いていました。ちなみに、
そのうちの1人の子どもは、あまりにも泣きすぎて片目の
視力がなくなって失明状態になってしまったそうです。

輝かしいたくましく生きる人々の姿

シリア難民の多くは、上記のような悲惨な状況の中で
何とか耐えてきて、いまも大変な状況に身をおいています。

ただ、そんな状況でも、彼らは文字通り「生きて」います。

僕が訪問した家庭でも、新しい生命が誕生し、
その赤ん坊を幸せそうに抱き抱える両親の姿がありました。
そして、その赤ん坊の世話を、一生懸命に、嬉しそうに
している元気そうな兄妹たちの姿がありました。

希望を見出すことが難しい状況の中で、その姿は、
とてもとても美しく、輝かしく映りました。

IMG_4824.jpg

そして、今回、最も印象的だった言葉があります。

上に書いたホムス出身の男性のお父さん(63歳)の言葉です。
彼は、爆発のために天井が落ちてきたことで、3回の手術の
果てに最終的に左足の切断をするという経験をしています。

IMG_4806.jpg

そんな彼に、「いま一番ほしいものはなんですか?」という
質問をしたところ、返ってきた言葉は、

「何もない。いまこうして生き残った家族たちと一緒に
 暮らすことができていること、色々な人たちに支援をして
 もらえていること。そのことに、ただ深く感謝している」


というものでした。

僕の友人もそうですが、こうした強い心を持ってたくましく生きる
人たちがいる限り、いつの日かまた素晴らしいシリアは戻ってくる。

そのことを、僕は十分に確信することができた気がします。


正直なところ、色々な情報が大量に入ってきて頭の中はまだ
グチャグチャですが、取り急ぎ、感じたことを書いてみました。

まずはベイルートで友人Nと会えることを祈りたいと思います。

※ シリア難民のためにあなたができることはコチラ

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小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

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明日からヨルダン・レバノンに行ってきます

突然ですが、ゴールデンウィークの後半を使って
弾丸旅程でヨルダンとレバノンに行くことにしました。

目的は、僕が青年海外協力隊としてシリアに住んでいた時に
お世話になっていたシリア人の友人Nとその家族に会うとともに、
彼らのこれからの生活をサポートするためです。

冗長にもなるし、かつ、センシティブな内容でもあるので
ブログに書くか迷いましたが、やはり背景を書こうと思います。


ご存知の通り、いまシリアは内戦状態が続いていて、
国中のいたるところで悲惨すぎる事態が起きています。
友人Nや僕の住んでいた人口2,500人の素朴で小さな村も
例外ではなく、ここ最近、治安は急激に悪化しています。

友人Nとは、協力隊の活動が終わってからの約8年間、
数ヶ月に一度、僕の方から電話をして連絡を取り合っていました。
珍しく友人Nの方から電話がかかってきたのは、
今からおよそ1年ほど前のことだったかと思います。

「村の治安が悪化している。僕たちは村を出るかもしれない」

ただ、それから連絡を取っていても状況は大きく変わらず、
しばらくは小康状態が続きました。友人Nから、聞いたことも
ないような絶望的な声で連絡が来たのは、今から数ヶ月前です。

「治安の悪化は限界で、これから家族と村を出ようと思う。
 でも、6人の家族(小さなお子さん2人とお年寄り含む)を
 養う生活費がない。もしよければ、助けてほしい...」

彼からこんな風に深刻に助けを求められたことは一度もなく、
いかに彼の状況が緊迫しているのかが痛いほど伝わってきました。

この時点で、僕の方でも家族と相談し、友人Nに対して
出来る限りの経済的な支援をしていく方針を決めました。

そんな中、突然、友人Nとの連絡が途絶えました。
家に電話をしても回線は切れているし、彼の方からの連絡も
なく、彼とコミュニケーションを取る手段はなくなりました。
いくら連絡手段を考えても、なす術がありませんでした。

もしかしたら・・・。
正直なところ、最悪の事態が頭をよぎりました。


ところが1週間ほど前、古い連絡帳から友人Nの別の連絡先が
奇跡的に見つかり、僕は彼に連絡を取ることができました。

友人Nとその家族は、みな無事でした。

ただ、彼らはすでに愛する村を追われていて、
首都ダマスカスで困窮した暮らしを送っていました。

十分な食べ物が手に入っておらず、子どもの教育のための
お金も、底をついてしまったそうです。ギリギリの生活を
送っていることが、声色からも想像できます。

そんな中、僕は経済的サポートの話を切り出しました。

「僕がシリアにいた間、僕はあなたにお世話になった。
 だから、今度は僕があなたを助ける番だ。
 だから毎月XXXドルの援助をしたいと思っている。」

この金額は色々と考えた上で提示したものでしたが、
正直、友人がどう反応するかは不安でたまらなかったです。
僕が彼なら、それでは安すぎると主張して激昂するかも
しれないし、あるいは、プライドが邪魔してしまって、
経済的支援には強い抵抗を示すかもしれません。

でも、友人Nから返ってきた答えは、こうでした。

「どうもありがとう。でも、決して勘違いして欲しくないのは、
 僕がいつかあなたに世話になりたいと思ってお世話をして
 いたのではないということだ。友人であり家族同然だから、
 当然のことをしていただけだ。それだけは分かってほしい」
 
「金額よりも、こうして心配して連絡をくれるのが1番なんだ。
 だから金額はいくらだっていい。その気持ちが本当に嬉しい」

内戦で国内避難民となってどん底の状態にいる友人から
こんな言葉をかけられて、僕はもう、涙が止まりませんでした…。


そして僕は、急遽、友人Nに会いに行くことを決意しました。

なるべく早く、そして確実にサポートを届けるためにも、
直接会ってお金を渡したいのです。それに、彼と会って
ちゃんと話をして、少しでも彼のことを勇気づけたいのです。

ただ、当然僕はシリアには入れないわけで、
彼の方にシリア国外に出てきてもらう必要があります。
正直、ちゃんと会えるかも分かりません。
でも、動かなければ始まらないとも思うのです。

というわけで、明日成田を発ち、まずはヨルダンへと入ります。
この件、また記事で続編を書いていきたいと思います。

こんな冗長な長文を最後まで読んで下さった方、
どうもありがとうございました!

P.S.
この最低な内戦が一刻も早く終わって、
1日も早くシリアに平和が戻ってきますように…

※ シリア難民のためにあなたができることはコチラ

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小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

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