キャリア・ダイバーシティの時代

ちょっと前に、クロスフィールズのスペシャルアドバイザーでもある
米倉誠一郎先生が講師をされているビジネスブレイクスルー
アントレプレナー・ライブという番組にゲストとして出演する機会を頂いた。

ビジネスブレイクスルー
↑ 緊張のあまり、置き物のような姿になっている筆者(右)


起業してからというもの、こうした身に余るオファーを稀に頂くのだけれど、
今回もまさにそんな感じで、いったい僕が何を話せばいいのかという感じだった…

それでも何とか苦労してプレゼン資料を作り上げ、当日の打合せを迎えた。
なんでも米倉先生はいつも当日の打合せを受けてその日の番組タイトルを決めるらしいのだが、
今回も先生は、僕との打合せを終えると、さらりと番組タイトルを発表された。

名付けて、「キャリア・ダイバーシティの時代」

瞬時に思いついたとはとても思えないほど、
僕自身と僕たちの事業とを的確に表した言葉で、驚いた。


このタイトルはまず、僕自身のことをよく表しているんじゃないかと思う。

大学を卒業して教師になるという道を志していた自分が、
ひょんなことから青年海外協力隊として国際協力の業界に入り、
かと思ったら経営コンサルティング会社でビジネスを経験し、
いまはこうしてNPOの経営者として活動をするに至っている。

日本人には珍しく、様々な領域を行ったり来たりしている自分は、
ある意味でキャリアの多様性(ダイバーシティ)を体現しているかもしれない。


また、このタイトルは僕たちの運営する「留職」という事業を言い得てもいる。

日本のビジネスパーソンに途上国のNPOで働く機会を与える「留職」は、
企業人に対して、所属する組織の中での画一的な出世・昇進や研修とは違う、
これまでにはない新しいチャレンジを用意していると僕たちは考えている。

言ってみれば、企業人のキャリアに対してダイバーシティを提供する試みだ。


これまでキャリア・ダイバーシティなんていうカッコいい横文字を使ったことは
なかったけれど、いまの日本に欠けているのは、まさにこんな感じのことだと僕は思う。

日本社会でこれまで数十年間に渡って誰もが妄信的に目指してきた、
「いい大学→いい会社→ひたすら出世→幸せにリタイア」という画一的なキャリアが
いまの時代にそぐわないものになっていることは、誰の目にも明らかなことだ。

日本がいま置かれている経済状況や社会情勢を考えれば、今の20代や30代が
数十年前に形成された既定路線的なるキャリアを歩むのはもはや不可能なのだ。

でも、にもかかわらず、日本社会には受験勉強や就職活動や昇進システムをはじめとした
単一的かつ画一的なキャリアや価値観を推奨する強固なシステムが横たわっている。

そのせいで、自分たちが歩んでいる道には先がないとうすうす感じている人でも、
この既成概念の呪縛から逃れることができないというのが日本の現状なんだと思う。

そして、この不幸なネジレこそが、日本社会に閉塞感を与えているように僕は感じる。

だからこそ、そうした画一的なキャリアの枠を超える動きには注目が集まるし、
米倉先生もそうした観点で、僕や僕たちの事業を応援してくれているのだと思う。

キャリア・ダイバーシティ、これからすごく大切な概念かもです。


「世界に広がり、社会に貢献する日本のソーシャル・パワー」
↑直接関係ないけど、こちらは米倉先生がクロスフィールズの活動を紹介して下さった文章。


NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

ミャンマー訪問

今や新聞で関連記事を見ない日はないという話題の国、ミャンマーに行ってきた。

シュエダゴン・パゴダ

思えば数年ぶりに「初めて行く国」を訪れたので、今回の滞在は本当に楽しかった。
というわけで、今回は細かい話とかは抜きで、印象に残ったことを写真でざっくり紹介してみたい。


・ヤンゴンの光景

ヤンゴンの街並み

ミャンマーの旧首都であり、今も経済の中心となっているヤンゴンの中心地の光景がこちら。
見ての通り、高層ビルなどはまだほとんどなく、まだまだ発展途上といったところ。
2000年頃にカンボジアの首都プノンペンを訪れたときの印象と、すごく近いように感じた。

どこもかしこも建設ラッシュなのかと思っていたが、市内についてはそんな感じでは全くない。
何でも、不動産業者や建設業者が値が上がりきるのを待っていて、非常に動きが鈍いのだそうだ。

ミャンマー人の友人に聞いた話では、一部地域の賃料はニューヨークよりも
高くなっているらしいのだが、この景色からは全く想像できない…


・アウンサンスーチー女史

アウンサンスーチー

昨年の選挙まではアウンサンスーチー女史の話をすることすら禁じられていたとのことで、
彼女のことは名前を伏せて「THE LADY」と呼ぶのが習わしになっていたとのこと。

でも、それも今や昔の話。
街の至るところに「THE LADY」グッズが並べられていて、街には活気と解放感がある。


・スーパーマーケット

進んだスーパー

ミャンマーの人たちが殺到しているのが、綺麗で冷房の効いたスーパーマーケットだ。
パッと見ると日本のスーパーとも変わらないような、とても綺麗な店舗もでき始めている。

でも、よくよく商品を見てみると国産品などはどこにも置いておらず、
99%以上の商品がタイなどをはじめとする諸外国からの輸入品なんじゃないかと思う。


・道路インフラ

ミャンマー市街地

そんな綺麗なスーパーが立ち並んでいる一方で、道路などインフラ面の環境はまだまだ劣悪だ。

今回は雨期の滞在だったので毎日雨に降られたのだけれど、その度に道は洪水のようになってしまう。
それに、道には穴ぼこが沢山あって、夜道を懐中電灯なしで歩くのは少し危険なようにも感じた。


・ミャンマーの人々

ミャンマーの人々

日本での報道では「日本人とミャンマー人は仕事をしやすい」とよく言われるが、
短い滞在ではあったけれど、確かにミャンマー人は一緒に働きやすそうだと僕も実感した。

真面目で清潔なことに加えて、シャイで空気を読むという国民性は日本人に近いし、
識字率が高いだけでなく、街行く人の多くが簡単な英語を理解するという教育レベルの高さは、
確かに他のアジアの国々と比べても、一緒に働きやすい民族だと言えそうだ。


・総括

というわけで、まだまだ未発達な部分が多いものの、
とっても魅力的な国だなぁと感じたのが、今回の滞在の感想だ。

クロスフィールズの「留職」でも、かなりお世話になりそうな予感。

なお、多くの日本企業は散々検討した上で何もせずに帰るということで、
最近ミャンマーで日本人は4L(Look, Listen, Learn and Leave)という
とっても不名誉なあだ名をつけられているとのこと。

何としても、僕たちは「Leave」せずに何かしらのことを始めたいと思う。


ミャンマービール
とっても美味しいミャンマービール
(なんでもドイツ仕込みとか…)

ミャンマー・カンボジア・ラオスのことがマンガで3時間でわかる本 (アスカビジネス)
※ 友人が書いた分かりやすいミャンマー解説本
  (僕の書いた適当な記事では物足りない人にオススメ)

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

オフィス移転 ~シェアオフィス卒業~

実はクロスフィールズ、7月のはじめにひっそりとオフィスを移転した。

お付き合いする企業さんも増えてきて、そろそろ情報管理などの観点でも
シェアオフィスではなく、自分たちのオフィスを持った方がいいという判断だ。

前にいたオフィスを僕たちがどれだけ気に入っていたかは
「無用の用 ~あるシェアオフィスの話~」という記事で書いたけど、
それだけに、今回そのオフィスを離れるというのは、すごく寂しかった。

いや、寂しすぎた。そんなわけで…

【旧住所】
〒141-0031 東京都品川区西五反田3-8-3 町原ビル4F
【新住所】
〒141-0031 東京都品川区西五反田3-8-3 町原ビル5F

と、鋭い方はお気づきのように、もとのオフィスの1階上のフロアに部屋を借りてしまった。

シェアオフィスにいる皆さんや、シェアオフィスの管理をしている
Sow Experienceさんと顔を合わせる関係を保てるってことが、大きな魅力だった。


新オフィス

(まだ殺風景な新オフィスの様子)


ただ、今回の引越し、物理的な移動距離は極めて少ないものの、
こうして自分たちのオフィスを構えることは、心理的にはとてつもなく大きな変化だ。

シェアオフィスにいた時とは違って、オフィスにいるのは自分たちだけなわけで、
どんな雰囲気の場をつくっていくかは自分たち次第だっていう責任感がある。
それに、当たり前だけど、固定費が毎月かかるってことは、本当に身が引き締まる。

そして同時に、なんとも言えないワクワク感がある。

ご覧の通り、オフィスはまだ殺風景で、何もない。
東京にいるメンバー全員が座っても、スペースには余裕もある。

そう、この空間には、色々なことが起こせる「余白」が沢山あるんです。

これから色々な機材や家具も運び込んでいくし、内装にも色々手を加えるつもりだ。
それに、ここで働く仲間の数も、これからまだまだ増えていくんだと思う。

1年後にこの空間がどんな感じの場になっていて、
自分たちは一体どんな感じでここで働いているのか。

ほんと、全く予想ができない。

この「余白」、ほんと最高っす。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

さぁみんな、NGOをつくろう!

いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれないけれど、
いま日本には、新たな国際協力NGOが誕生していく機運が高まっているように思う。

いくつか、そう思う理由がある。



日本には国際協力系のSocial Enterpriseが少なすぎる

僕たちクロスフィールズは、国際協力の分野で活躍する
世界各国のNPO/NGOとパートナーシップを結んで活動をしている。

中でも僕たちは、ビジネスの力を使って社会の課題を解決しようとする
「社会起業家」「Social Enterprise」「Social Venture」などと呼ばれる団体を
各国で探しているけれど、こうした分類の国際協力NGOは、日本には数えるほどしかない。

アジア各国の“社会起業家”たちと話をしていると強く感じるけれど、
ビジネスの力を活用して国際的な課題を解決しようという動きは、世界的な潮流だ。
そんな中で、日本においてこうした分野で活躍する団体が少ないということは、
単純にすごくもったいないのと同時に、なんだか寂しいことのように僕は思う。


日本のNGOは歴史的な転換期を迎えている

日本の国際協力NGOの隆盛期は、過去に3回あったと言われている。

第1期は、1960年代から70年代にかけて。学生運動の志士たちが、ベトナム反戦運動の
終了とともに発展途上国を旅してまわり、その過程で生まれたNGOたちだ。
日本国際ボランティアセンター(JVC)シャプラニールなどが、その代表的な存在だ。

第2期は、1980年代初頭。World VisionPlan Internationalといった外資系NGOが、
日本においてファンドレイジングの機能のみを持つ支部を立ち上げた時期だ。

そして第3期は、1990年代後半。Peace Winds JapanJENなどといった、
緊急援助型の活動を行う日本発の国際協力NGOが立ち上がった時期だ。

しかしこれ以降、日本における国際協力NGOの歴史には、大きな動きはないように思う。

Peace Winds Japanが発足してから考えても、もうすぐ20年近くが経つ。

この間、二度の震災があった。阪神大震災と東日本大震災にあたっては、日本のNPO/NGOが
目覚しい活躍を見せ、日本社会のNPOに対する認識は大きく変わったと思う。

また、駒崎弘樹さんの立ち上げたNPO法人フローレンスや、
山口絵理子さんの立ち上げた株式会社マザーハウスは、
ビジネスと社会貢献の両立は可能であると日本社会に証明してみせた。

そして、ETIC.SVP東京のような中間支援型の市民組織や、
パナソニックNECなどの企業も、揃って「Social Enterprise」を支援する動きを加速させている。

この20年間で、舞台は大きくポジティブな方向に向かっているのだ。
そろそろ何か新しい動きが起きない方がおかしいのではないかと、僕は思う。


日本には潜在的なプレイヤーが沢山いる

そして最後に、僕はこのフィールドで活躍できる人材は日本に沢山いると思っている。

これは世界的な流れでもあるけれど、これからの「Social Enterprise」の
業界をリードするのは、ビジネスの世界で経験を積んだ人材たちだ。

そして、自分自身もそのうちの一人だったけれど、ここ5~10年間くらいを
見てみると、「Social Entrepreneur」として活躍することを目指して
ビジネスの世界に入った人間が、日本にもかなりの数いるのではないかと思う。

そうした人材たちが、日本の国際協力NGOの歴史に名前を刻むような
インパクトを生み出す団体を立ち上げるべき時が、いま来ていると思うのだ。



僕自身もNPOを立ち上げているわけだけど、自分が起業する前に考えていた以上に、
いまの日本社会におけるNPOに対する偏見は払拭されていると思うし、
明確なビジョンを共有することができれば、様々な個人や組織が応援してくれる
土壌が日本社会にも整っていることを、自分たちは日々実感として感じている。

だからこそ、日本の国際協力NGOには、いま空前のチャンスがあると、思うのだ。
そして、そんな挑戦をしたい人たちの背中を押したいと、僕は心から思うのです。

さぁみんな、今こそNGOをつくろう!

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715